『殯(もがり)の森』でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞するなど、世界的に高い評価を受ける映画監督の河瀬直美さん。
東京2020オリンピック大会公式映画の監督に就任したことでも話題になりましたよね。
今回は、そんな河瀬直美監督の生い立ちについてお伝えしていきます。
なんでも父親にタトゥーを彫られたとの噂も浮上しているのですが、果たして真相とは。。。
河瀬直美の生い立ちが壮絶だった?
名前 | 河瀨 直美(かわせ なおみ) |
生年月日 | 1969年5月30日 |
出身地 | 奈良県奈良市 |
身長 | 167cm |
職業 | 映画監督、脚本家 |
奈良県奈良市紀寺町出身の河瀨直美さん。
奈良市立一条高等学校を卒業後、大阪写真専門学校の映画科に進学し卒業されています。
また、中学時代にバスケットボールを始め、高校在学中にはバスケットボール部キャプテンとして国体出場経験を持つなど、文武両道の学生生活を送られました。
大阪写真専門学校を卒業後は、同校の講師を務めながら映画を作成する毎日だったようです。
「お洒落もせず、食べたいものも食べずに、映画ばかり作っていた」
1995年には、自身の生い立ちを描いた自主映画『につつまれて』『かたつもり』が山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞を受賞し、国内外で注目を集めるように。
そして1997年、劇場映画デビュー作『萌の朱雀』でカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞されました。
ちなみに『萌の朱雀』は、河瀨さんがたまたま映画の撮影のために訪れていた中学校で、下駄箱掃除をしていた当時中学生の尾野真千子さんに声をかけ、主演に抜擢したそうです。
2007年には、『殯の森』でカンヌ映画祭グランプリ(審査員特別大賞)を受賞。
その後も数々のヒット作品を生み出しておられます。
河瀬直美は養子として育てられていた!
実は、河瀬直美さんが母親のお腹にいるときから、両親はすでに別居状態だったそうです。
結局、河瀬さんが生まれてから1年ほどしてすぐに両親は離婚。
その後、母とも離別し、子どもがいなかった母方の祖母の姉に育てられました。
ちなみに、河瀬さんの母親自身も両親が離婚しており、シングルマザーとして育てられた過去があったようです。
そのため当時のことを河瀬さんは以下のように語られています。
「(河瀬直美さん自身の)まだ下に3人の弟がいたため自分の母親には頼ることができなかったのではないか」
しかし、母方の祖母の姉に育てられていた河瀬さんですが、心の中では常に「私はなぜここにいるのだろう」「なぜ生きているのだろう」と、
自分のルーツが分からず、10代の頃は常に死にたいと考えていたようです。
ただ、映画製作に没頭するうちに「生きていて良かった」と思えるようになったそうです。
「一生懸命自分のルーツを探り、父親とは何か、養母の存在とは何かという日常にカメラを向け続けて作った映画が、私の見ている世界を変えてくれた。そして、自分と関わってくれる人がいること、それこそが「生きていて良かった」ということだと思えるようになった。」
河瀬直美は離婚も経験していた!
河瀬直美さんは1997年、同じく映画監督の仙頭武則(せんとうたけのり)さんと結婚されています。
2人の馴れ初めは、河瀬さんが監督を務めた作品『萌の朱雀』のプロデューサーを仙頭さんが務めたことがきっかけとなり、交際スタート。
しかし、結婚から3年後の2000年に2人は離婚。
当時、二人の間には子どもはいませんでした。
そして、それから4年後の2004年に河瀬さんは一般男性と再婚を果たされています。
ただ、このとき30歳を超えていた為、「子どもを生むなら30歳までに」と考えていた河瀬さんは半ば諦めていたようです。
ところが、34歳のときに自然妊娠し、2004年に男児を出産。
無事子どもが授かることが出来た要因を次のように明かされています。
「東京暮らしから地元の奈良に戻り、食事や生活習慣を整えたことが大きかったのではないか」
河瀬直美は父親にタトゥーを彫られていた?
河瀬直美さんには、タトゥーが彫られているとの噂が浮上しています。
実際の画像はありませんが、あるドキュメンタリー映画のために背中に彫られたそうです。
彫られた理由は以下のようです。
「父親が背中に彫っていて、父との絆を見出そうと思って彫った」
また、今どきのおしゃれなタトゥーとかではなく、しっかりとしたタトゥーだったみたいです。
ただ、実際の画像が出回っていないこと、情報元が不明であることからデマである可能性も高そうです。