吉岡里帆の苦労人エピソード4選!お金がなかった過酷な下積み時代が壮絶!

日清食品どん兵衛のCMの「どんぎつね」としても有名な吉岡里帆さん。

ドラマに映画にCMに、マルチに活躍する売れっ子女優さんです。

しかし、過去には女優という夢を叶えるために、お金がなく過酷な下積み時代を過ごされていました。

そこで今回は、吉岡里帆さんの苦労人エピソード4選を紹介していきたいと思います。

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目次

吉岡里帆が女優を目指したきっかけ

吉岡里帆さんは幼い頃から書道に没頭し、8段の腕前をもつ実力者。

そのため将来もその道に進むと漠然と思い、親も期待していたそうです。

一方で、京都の太秦という映画などの撮影が周りで当たり前に行われる環境で育ち、

幼い頃から芸能の世界にも憧れを抱いていました。

そんな頃、京都・東山にあるお店でアルバイトをしている時に「人数が足りないから」とエキストラに駆り出されることに。

この出来事が吉岡さんの人生を大きく変えることになりました。

エキストラとして出演した作品は、滝田洋二郎が監督した映画『天地明察』(2012年公開)。

岡田准一さん主演の、江戸時代に日本初の暦作りに挑戦した実在の人・安井算哲の半生を描かれた作品。

吉岡さんもほんのわずかな出演ながら、エンドクレジットにしっかり名前が載りました。

また、一緒に出演し、たまたま隣にいたエキストラが映画監督志望だったこともあり、

吉岡さんは誘われるまま、彼女たちの自主映画などにも参加されていきました。

こうして演技にのめり込み、女優を目指すようになったそうです。

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吉岡里帆の苦労人エピソード4選!

女優になることが夢になった吉岡里帆さんですが、

映画監督志望の人と映画を作ろうという話になり、その仲間がどんどん広がっていったそうで、

「みんなと一緒に作品を撮りたいという一心で東京の養成所に通うように」

と、地元・京都の近くにある大阪ではなく、東京の俳優養成所に通っておられました。

そんな下積み時代から現在の地位を築かれるまでに経験された苦労人エピソードを紹介していきたいと思います。

①京都から東京まで、新幹線ではなく深夜バス

金銭的な事情だけなら、新幹線に乗って行けないこともなかったそうです。

しかし、それではハングリーさが失われると頑固に深夜バスを利用していたそうです。

「行きのバスは希望でいっぱいで絶対にいいことがあるんだってすごく意気揚々なんですけど、帰りのバスはいっぱい反省して本当にこれでいいのか、自分は何か大きな間違いを犯してるんじゃないかって思いながら帰るから寝られなくて、ずーっとカーテンに首を入れて外を見てました」

このとき焦りや迷いで胸が張り裂けそうだったとのこと。

それでも、闇夜に照らされている工場の光を見ながら「まだ働いている人がいる、自分はもっと頑張れる」と言い聞かせていたそうです。

また、東京に行っていることを親に内緒にしており、「友達の家に泊まってくる」と伝えていたそうです。

②上京費用を捻出するためにバイト4つ掛け持ち

交通費や授業料を稼ぐためバイトはカフェ、居酒屋、歯科助手など4つを掛け持ちしていたそうです。

「カフェとか、居酒屋の厨房とか、派遣をやったり、歯科助手をやったり、ホテルのサービスしたり、一番多い時で4つ同時進行でやってました」

また、アルバイトで稼いだお金で「ワークショップを受けたり、(舞台の)チケットを買ったり、夢に投資していた」とのことです。

こうして毎週のように深夜バスで東京に通っていた吉岡さんの当時の生活リズムがこちらです。

  1. 大学に通う
  2. バイトに行く
  3. 深夜バスに乗り上京
  4. 朝早く東京に着くとネットカフェでシャワーを浴びる
  5. 養成所に通う
  6. そしてすぐにまた深夜バスで帰る
  7. そのままバイトや大学に行く

この生活を5年続けたとのこと。

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③スーツケースがやっと入るくらいの安宿に宿泊

そういった生活を続けていく中で、泣いてしまったこともあったそうです。

「スーツケースがやっと入るくらいの安宿に泊まって、共同シャワーを使ったとき、冷たい水しか出なくて。さらには水圧も弱くて。その水をかぶりながら“何をやっているんだろう”って、不安で仕方なくなっちゃったんです」

④グラビアがイヤで号泣

2017年、WEBマガジン「WEZZY(ウェジー)」のインタビューで「吉岡さんは最初、水着グラビアをやりたくなかったんですよね」と聞かれると、

「はい。撮影のお話をいただいたとき、『絶対私にはできない」って、マネジャーさんとの電話で号泣しちゃいました(笑)」

と暴露されました。

そして、その理由をこのように話しておられました。

「週刊誌に水着姿で出るということがまるで想像つかなくて。自分とは最も遠い世界のような気がして、危険な一歩を踏み出すみたいな心持ちでいたんです」

しかし今は「せっかくやるならグラビアでも最高な作品を残そうというふうに意識を変えて」いき、

「“最高のワンカット”を残すために何ができるか模索するというアプローチが、お芝居でもすごく生きている」とのことです。

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まとめ

今回は、女優・吉岡里帆さんの苦労人エピソードを4つ紹介していきました。

  • 京都から東京まで、新幹線ではなく深夜バス
  • 上京費用を捻出するためにバイト4つ掛け持ち
  • スーツケースがやっと入るくらいの安宿に宿泊
  • グラビアがイヤで号泣

今の活躍からは中々想像し難いものでしたよね。

しかし、こういった苦労をされていた過去があるから今が輝いておられるのも事実です。

そんな吉岡里帆さんの今後の活躍からも目が離せません!

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